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高麗人参の歴史


高麗人参・・・
その名前の示すとおり、高麗から人参です。
日本と朝鮮は、近いこともあり、約2000年前から交流がありました。
記録に残っているものを見ると、天平11年、実に、739年ということです。
渤海の文王が、高麗人参30片を、その当時の聖武天皇に贈ったのが、最初だそうです。

その後も、朝鮮半島からは、度々、高麗人参が贈られてきており、
足利時代、室町幕府にやって来ていた朝鮮の使節団は、国の贈り物として高麗人参を、
そのお礼に、日本からは、国交回礼品として、銀を贈ったそうです。

高麗人参が世界に広まったのは、多くの宣教師や商人たちが、
はるばるヨーロッパから、アジアを目指し、航海していた大航海時代からです。
モントリオールに在住していたフランス人ラフィトウ宣教師は、高麗人参の写生図を
完成させ、その絵をモホク族に見せ、山林から似た植物を採取させました。
その植物を、『広東参』や『洋参』と命名し、中国に輸出しましたが、高麗人参の薬効とは比べ物にならないため、安価で取引されたという記述が残っております。

皆さんがよくご存知の、鳴かぬなら、鳴くまで待とうの徳川家康は、
自分自身の薬を自ら煎じて服用するくらい、自身の健康に気を使った武将でもありました。
その徳川家康も、この高麗人参の効能に目を付けており、常に持ち歩き、
体調が優れぬときなどに、常用していたと言います。
昔は、今のように抗生物質もなく、医学の進歩が見られない時代でしたので、
もしかしたら、現代人よりも、健康志向な生活だったのかもしれませんね。

徳川家康も、高麗人参の栽培に精を出したようですが、
高麗人参の発芽は難しく、困難を極めたようです。
高麗人参が無事に発育するには、家康の時代から、7代までの歴代将軍が苦労を重ね、
8代将軍徳川吉宗の時代まで、待たなければならなかったのです。

吉宗は、高麗人参の栽培を積極的に進め、1729年享保14年に、見事に成功させ
その栽培方法を公開し、人々に、高麗人参の栽培を奨励したのです。
その結果、野州、松江、会津などが中心地となり、栽培されました。
この成果が、今でも継続されております。

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