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高麗人参と松江藩


高麗人参は、中国や朝鮮半島で自生しているウコギ科の多年草植物ですが、
日本では、「オタネニンジン」といわれております。
高麗人参は、中国では、その昔、万里の長城建設で知られる、奏の始皇帝が愛飲し、
それから数千年に渡り、長い間重宝され、東洋医学の貴重な薬としても、
中国の方々をはじめ、東洋人に愛されてきました。

その高麗人参は、江戸時代、8代将軍吉宗の時代に、日本での栽培が本格的に開始され、
1685年、幕府が江戸に、朝鮮人参座を開設するに至ったのです。

松江藩は、江戸幕府から、朝鮮人参売座の認可を受け、1773年に藩が運営する
人参畑を、松江市に開墾しました。
松枝藩は、品質を重視する高麗人参の栽培を心がけ、携わる人々がみな熱心に取り組み、
その結果、競合産地だった日光、会津藩を上回る生産量を上げ、藩の財政を潤したのです。

今も、松江市内には、製造工場や役所のあった場所に、"人参方"という地名が残って
おり、屋根型の遺稿もそのままに、その時代の栄華を見ることができます。
観光に行かれた際には、高麗人参を思い出し、回ってみて下さいね。

幕末には、松江藩の直轄事業であった高麗人参の栽培は、
ある八束町(大根島)、松江市など28箇所の町や村で実施され、八束町(大根島)は、
県下有数の高麗人参の産地として、発展していったのです。

八束町の通称である"大根島"という地名についてですが、
かつて、高麗人参が門外不出の産物であったために、島で栽培していることを隠すために、
"大根島"と呼ぶようになったという、逸話が残っております。
松江藩が、藩を挙げて、大切に栽培し、後世にその技術と品質を残そうと懸命に励み、
その土地の方々の苦労が分かる、逸話でもありますね。

明治維新に伴い、松枝藩は廃止されました。
高麗人参の栽培は、明治5年に民営化されますが、明治7年に自由販売が可能になり、
全島あげて、高麗人参の栽培に取り組んだのです。

その甲斐があり、"大根島"産の高麗人参は、今も、世界の一級品として、
人々に認められているのです。

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